元ホテルマン飲むさんの理念とプロフィールついて

【2018年7月16日更新】
こんにちは、元ホテルマンの野村です。

飲むさんという名前で、
ブログを書いております。
(お酒は日本酒1.5合くらいしか飲めないけど…)

このブログでは、
ザ・リッツ・カールトン大阪というホテル
で6年半働いていた奴が、

大阪から、
誰も知り合いのいない東京に、

髪の毛を赤髪にして、1人で来て、
起業家から勉強することになり、

良質な情報に150万以上つっこんで、

どう変わったか?
これからどう成長していくか?
っていうのを話していきます。

僕は、
2016年6月から6年半働いていた、
ザ・リッツ・カールトン大阪というホテルを辞め、

今は、
2018年6月から
渋谷のWEBマーケティングの会社で
マーケターとして正社員で働きながら、
自分でビジネスをしています。

東京に来てからの実績は、
具体的には、

・年収2億円以上の20代年下に10回以上会う(なかなか会えない、懇親会ですら数万円かかる人)。
・外注さんを20人以上雇ってメディア運営をする起業家になる。
・YouTubeで自分のチャンネルを持ち、自分で喋る動画を100本以上あげる。
・YouTubeチャンネルの登録者を3ヶ月で1,000人達成。
・人の行動原理を、ある程度言語で説明できるようになる。
・外注化を人に教えて、その人に実際に人を雇わせる。
・月間アクセスが10万PVの人のマーケティング
・個人事業主に仕組み化のマーケティングの有料のコンサルを販売する。
・大阪の高級ホテルの元ホテルマンが教える、人間心理の教材を販売する。

などをやっています。

今は、
人間心理や、原理原則をベースに、
ある程度言語で説明できるようになりました。

あとは、起業家の懇親会に行って、
マインドに刺激を受けたり、
毎日音声学習するのが当たり前になりました。

とはいっても、
小学校、中学校、高校、専門学校、社会人の
昔は、勉強はしていませんでした。

2016年6月に東京に来る前は、
ザ・リッツ・カールトン大阪のレストランで
サービススタッフの正社員として6年弱働いていました。

ミシュラン1つ星の所でも働いていました。

自分で言うのも品がないですけど・・
まあまあ一流なホテルでして。

僕は、
経営者や、
富裕層の接待のサービスに付かせて頂いてました。

しかし、
その時は、なんとなくこうすれば、

このゲストは、満足してお帰りいただけるなとか、
このゲストは、怒らせないなとか、
このゲストは、こういったサービスをすればいいなとか、
このゲストは、サービスを過剰にすると怒る人だなとか、

なんとなく、
なぜ?怒るのか?
なぜ?満足してお帰りになるのか?
なぜ?喜んでいただけるのか?
って言うことは、経験則でやっていて、

言語で説明できない状態でした。

例えば、
ホテルで働いている時に、
後輩や、10個上の先輩方が、
ゲストにクレームを出されている時も、

なんで、そんなこと動きすんねん!
そりゃあ怒られるでしょw

とか思いながらも、

まあ〜、そのゲストには
まあ、こうしたらいいんじゃないの?とか

そのサービスは、距離が近いんじゃないの?とか

なんかふわっとした、状態で、
具体的な根拠がない状態でした。

いわゆる、
『暗黙知』を『形式知』にできていない状態でした。

言い換えれば、
『感覚』を『言語』にできない状態でした。

しかし、
東京に来て、良質な情報に150万円以上つっこんで、

マーケティング、
セールス、
人間心理、
コンテンツビジネス、
仕組み化、
勉強方法、
ライティング、
人を動かす方法、
サイト運営など

を学んだり、

月収100万円以上が
自動で出る当たり前の世界を知ったり、

実際に経営者となって、
外注さんを20人以上雇う経験をすることによって、

なんで、あの人は、

なぜそのような行動をするのか?
なぜそのような言動をするのか?
なぜそのように怒ってるのか?
なぜそのように喜んでいるのか?

が、ある程度ですけど、
言語で説明できるようになりました。

このブログをきっかけに、
読んでくださった方の、

人生が良くなったり、
人生を後悔しないために行動や勉強をするようになったり、
人生が変わるきっかけになればなという思いがあります。

僕みたいに人生を楽しもうとしてる人が、
もっと楽しく後悔しないために生きるためには?を書いています。

人間心理をロジックで理解して、
この激動の個人の時代に
どう周りに笑顔で接して楽しく生きていくか?

是非興味のある記事からどんどん読んでください。

そして、僕がこのようなブログを書く上で、
僕の過去の経歴を共有しておくと、
より理解しやすくなるし、
僕のブログの内容を理解しやすくなります。

なので、
少しばかり僕の過去の物語を今から共有をしていこうと思います。

===========飲むさん物語===========

僕は、

幼稚園、小学校、中学校、高校、専門学校、社会人と、

自分の感情には素直でしたが、
良質な情報に触れる機会もなく、勉強していませんでした。

小学校〜遊んでばっかり〜

小学校1年〜2年は大阪にいて、

3年生の時に奈良に転校してきましたが、

ようやく慣れてきて、小学5年生の時に、
ゆうりさんという人を好きになりました。

その時には、これから8年間
同じ人を好きになるという、
一途さを発揮するとは、当然思ってもみませんでしたw。
高校なんか、一緒の高校じゃないのに。

好きな人ができてから、
学校が楽しくなってきました。
単純です。

3年生、4年生は
あまり楽しくありませんでした。

スーファミばっかりやっていましたね。

・パネルでポン
・ゴエモン3
・カービィボール
・星のカービィスーパーデラックス
・マリオRPG

とかやってましたね。

小学校6年生の時に、
モルモットを買いました。

ネズミのおっきいやつです。

名前を『やまさん』と名付けました。
なんでやまさんかっていうと、

当時、どんべいのCMで、
買ったら抽選でもらえる人形が
『やまさん』だったので、

響がいいなということで、
僕が「やまさん」と名付けました。

それから、高校3年の受験期まで7年ほど
世話をしましたけど、

死んじゃって、泣きましたね。

実家の前の川のとこに、
食用菊を敷き詰めて
埋めてあげました。

小学校6年は、
コンビニ集合からの
池でブラックバス釣りからの、
カードゲーム(マジックザギャザリング)が鉄板でしたね。

男子たちが、
ジャニーズのように爽やかに
戯れてる感じが楽しかったですね。

専門学校に行くまでは、人生で一番楽しい時間でした。

中学校〜部活と勉強の苦行

部活動は、
中学校も、
高校もハンドボール部をやっていたのですが、
なんで、ハンドボール部を選んだかというと、

小6の時の友達が多かったっていうのもありますけど、
ゆうりさんがハンドボール部だったっていうのが9割です。

男子中学生なんか、そんなもんでしょ?

たまたま、個室で二人っきりとか、
ドキドキでしたね。

そういえば、書いてて、思い出しましたけど、
塾も一緒だったんですよねw

なんで、告白しなかったんだろう?
当時。

告白したらいいという、
情報がなかったんでしょうね。

今度、タイムスリップして、
当時の自分を告白させる記事を書こうかな?

話を元に戻します。

勉強は、数学と、理科が得意でしたね。

中学2年の期末テストで、
数学で100点をとって、ハンドボール顧問の
中川先生に褒めてもらったことが嬉しかったですね。

中川先生のことを話します。

中学時代の中川先生は、
ここ数年でお亡くなりになってしまいましたが、

物事を
泥臭くていいので、
一生懸命にやることを教えていただきました。

対して、

高校のハンドボール顧問。
鳥飼先生は、
泥臭く一生懸命(考えないで)やると、
怒られました。

中学校から高校に上がるときに、
指導方針が真逆だったんですよね。

かなり、躓きましたね。

あと、とりっち(鳥飼先生)は、
とにかく、イエスマンが好きなんですよねw

あっこれが大人の世界なのかーって思いましたね。
同級生は、器用にこなすんですよね。

僕は、不器用なので、

僕は、
下の名前は、健太っていうんですけど、

健太の『健』は高倉健さんからきてるんで、
不器用なんですよね。
(『太』は菅原文太さんから)

対極的な指導法で、
学生の時は、感情的には、
中川先生の、考えずにがむしゃらにやる感じが好きでした。

でも、大人になってみて、
そして、人を雇ってみて、

高校時代の
とりっち(鳥飼先生)が正解なんだなって思ってます。

勉強することと、
思考することが大事なんだなって思ってますね。

行動する時は、泥臭くやってもいいけど、
基本的には、考えてやるのがいいのかと思ってます。

高校〜暗黒の時代〜

次は高校時代です。

公立の偏差値58の高校でした。

若干、自分の実力よりも高い高校に行ったので、
本当に後悔しました。

勉強は、全くついていけませんでした。

そして、数学と理科が得意なのに、
なぜが文系にいって、もっと爆死しました。

徹底的にひねくれましたね。

理系を選んでいれば、勉強はついて行けたのかもしれませんが、
結局、大学に行って就職はどうなるのかの
情報が当時の僕にはなかったので、

今のスマホで簡単に
ググれる時代は本当に恵まれてるなと思いますね。

誰でも情報を手に入れることができる。
誰でも、こういった感じでブログを書いて情報発信もできる。

素晴らしい時代だなと思いますね。幸せです。

親も高卒ですし、大学の情報もない、勉強法も知らない。

本当に情報がなくて、
何も人生を変えることができなかったです。

ホント辛かったなー。

高校時代は、クラスの誰とも話さずに、
本ばっかり読んでました。

でも、結局、インプットばっかりして、
友達に話すとかのアウトプットをしないので、
当時何読んでいたのかも、全く思い出せないです。

ただ、
クラスメートと全く喋らずに、
休み時間、授業中、
本ばっか読んでたおかげで、

卒業文集での、
クラスメイトで1番成功しそうな人の1位が
僕でしたw
はたから見たら、勉強してそうに見られていたのかもしれませんね。
実際は、勉強してませんでした。

ただ、本当に事業がうまく行けば、
僕が金銭的には、本当に1位になるかもしれないんで、

まあ起業家でレバレッジをかけれるのであれば、
金銭的に1位の可能性はまだあるのかなと思ってますねw

話を戻します。

自分の居場所が、ハンドボールやってる時だけで、
その高校3年の夏に、

両親の披露宴の写真が幸せそうだったので、
よし、ウエディングプランナーになろうと!
というか、企画を立てるの楽しそうだなと。

ホテルの専門学校に入ろう!と
人生をあっさり決め、高校は卒業式まで休みました。

結婚情報雑誌の『ゼクシィ』を読み漁ったり、
PS2の『実況パワフルプロ野球』のサクセスモード
っていう、選手を作るやつ
ばっかりやってました。

そして、
専門学校に入る前に、
1つやり残したことがありました。

小学校5年生の時から、
好きだったゆうりさんに
専門学校に入る前に想いを伝えました。

ゆうりさんのマンションの近くに呼び出してだったような、
あまり覚えてないのですが。

夜に明らかに、告白するシュチュエーションだったので、
あれ?あれあれあれ??ww
と、
コナンくんがすっとぼけるような感じで、

そんな反応をしていましたね。
で返事は、

ノムさんの想いは知らなかったけど、
今度遊びにいこうと、今は忙しいから、ちょっと待ってて。

いやいや、好き好きアピールしてたっちゅーねん。小、中、高と。
そんな感じに思ったのを、うっすら覚えています。

ただ、
高校と、専門学校の間という、
人生で1番暇な時期に、思いを伝えてしまったのと、

8年越しに思いを伝え、好きのダムが決壊した、
当時の僕が、
どういう行動をとるかというと、

ガラケーで毎日メールしてましたねw
童貞野郎がやることですよね。

それは、1番ヤバイやつだよと、
当時の僕に言いたいのですが、

仕方がないです。
好きのダムが決壊してるんですから。

そして、振られました、
しつこいということで。

あっさり8年越しの想いは失敗しました。

でも、
まあ、振られましたが、スッキリはしました。

告白して、振られたらショックかなと思っていましたが、
告白して、後悔することはありませんでした。

やらなくて後悔することはあっただろうけど。

専門学校〜二十歳のピチピチな女の子だらけのクラス

普通の人のレールから外れようと、
大学進学を辞めて専門学校に行きました。

2年間だけでしたが、あっという間でした。

専門学校時代に、
京都の専門式場の披露宴の
サービスのバイトをやりましたが、

非常にいい企業さんのところで、
働かせていただきましたね。

まかないに、フィレ肉とか、
フォアグラとか、ケーキは当たり前でですのですが、

何よりも、サービスが良かったですね。

サービススタッフ同士全員が、
周りのスタッフが楽しく働けるように、
意識付けているので、

楽しかったですよね。

当時、ウエディングサイトで、
披露宴の雰囲気がランキングで全国1位でした。

それから、7年弱ホテルの社員をやってみてから振り返ると、
かなりの当たり前のレベルでしたよね。

当たり前のことを徹底すれば、
ウェブサイトで1位取れるんだと、学びましたね。

僕の原点というか、
とにかく、楽しい思い出しかありませんでした。

それから、披露宴の雰囲気は大好きになりました。

話は変わって、

ホテルの
専門学校の時のこと
を話しますね。

ホテルの専門学校で
学級委員長に立候補した僕が、
授業中に、

起〜立!

礼!

着〜席!

と言い終えて、

改めて、
教室の周りを見渡してみました。

クラス35人中、僕以外、全員女子でした。
ちなみに、担任の先生も綺麗な女性でした。

なるほど、ここがホテル学科ブライダルコースか・・

それを、
大学に行った友達に言ったら、
テンション上がってましたけど、違うんですよね。

これは、
この記事をご覧の男性で、
女性数10人のグループの中で、

2年いたよ!っていう方がご覧なら
分かっていただけるかもしれないですけど。

結論として、
女性ばっかりなところに男子が
1人いるとどうなるか??というと、

異性を消したほうが、楽なんですよねw。

なんか、
マツコ・デラックスさん的な強さを身につけるんですよね。

女性にズケズケ言えるようになるんですよね。
女性に引かないっていう。
全く引かないっていう。

あと、
女性に尻に敷かれてる男性の、
感覚がよくわからないんですよね。

僕にとっては、
女性ってほぼ同性のような感覚なので、

女子のグループで座ったりすると、
緊張するとかはなく、まったりしますよね。

前の職場の
大好きな尊敬する日本料理の女性の先輩に、

あんたのサービス、フェミニン(女性らしい)やね

って言われて、
さすが、よくお分かりで・・
って言って。

そうですよ、似せてるんで・・
って思ったのを覚えてますね。

あの女性だらけの環境に2年入れたのは良かったなと思いますね、
10年経った今でも、
あのクラスメイトと数名と、

連絡を取れるくらいの距離感ではあるんで。

あの、学力的には、
あんまりだった女子だったのかもしれませんけど、
魅力的な女子たちに中で、入れて、
僕は慣れたので、

他のところで女性とあっても、
1mmも引かないっていう。
マインドセットを身につけたのは、良かったですね。

ただ、専門学校の2年間を楽しみすぎて、
就活がおろそかになり、
そもそも遅かったですが、

卒業式の日に神戸の異人館の専門式場に内定を頂きました。

そして、楽しかった専門学校の2年間は終わりました。

新卒〜現実を突きつけられた21歳の絶望

今思えば、
そんなギリギリに決まる会社なんか普通ないと思いますが、
一応、高3の時の目標である、

専門式場に就職するという、目標は達成しました。

そして
専門学校を卒業して、神戸で1人暮らしが始まりました。

そこは、
神戸北野の異人館を改装し、
土日婚礼、平日はレストラン営業している所でした。

ただ、入社して、失敗したなって思いました。

そこの料理長が、名前を覚えないというか、
何回、『前田』言うねん、俺、『野村』やっちゅうねんって言う感じで、

あと、衛生面も悪くて、
排水溝のゴミを止める所があるんですけど、
グリストラップっていうんですけど、

そこの掃除をしていなかったり・・

家族経営で、
新規顧客から利益をだまし取ってるような、
会場で、ゲストのことを考えていない経営者の考え方でした。

10年越しに、振り返りましたが、あれがブラック企業なのか・・

8時出勤、26時帰りみたいなw

は?みたいな?

23時から3時間お説教みたいな、
社長夫人の専務が偉そうにいいよるんですよ。

聞くか!みたいなw、
今思えば、監禁罪を適用できるのではないかと。

そして、当時21歳の僕は、
バカにしてる態度が経営者に対して、
出てたんだと思います。

そして、明日から来なくていいと、
自主都合の退職届を書かされましたね。

って言うか、同期3人がクビになってましたね。

あの時に、母に、
クビになったのを
夜に電話をして、ホッとしたことを忘れられませんね。

絶望と安心という、
相反する感情が混ざって、
なんか普通の感情でしたね。

母に、当時ガラケーで

雨が降ってきたから、
迎えにきてー感覚で、

僕、クビになったから。
って言ったのを
覚えています。

今でこそ、経営者の環境にいるので、
当時の経営者3人と戦える環境にあれば、

頭を使ってあの3人に戦いたいですね。
もう引退してると思うんですけど。

話を戻します。

僕は、ゲストをないがしろにしている会社の姿勢に、
二十歳そこそこではありましたが、

おかしいんじゃないですか?wっていう
姿勢が、

経営者の逆鱗に触れてクビになりました。

でもまあいいや、
ゲストの為に戦って、間違ってるっていうのならば、
他に行けばいいじゃん?って開き直ることにしました。

そして、
一旦奈良の実家に戻り、0に戻りました。
0というか、マイナスです。

実家に戻る〜全てが否定されていた時にかけてもらった一言

新卒で入った会社を4ヶ月で
強制的にクビになって、
そろそろ神戸にいる意味もないので、実家に帰ることになりました。

ただ、神戸で借りた部屋を
4ヶ月そこそこで解約するんで、違約金が発生しました。

違約金って言っても、家賃1ヶ月分とかでしたが
払えなかったので、1ヶ月だけバイトをすることにしました。

今思えば、親に借りればいいのですが、
そんな客観性はありませんでした。
そんな知識はありません。

クビにはなりましたが、
1人暮らしが楽しかったので、
ちょっとこの無職っぽい時期を楽しもうと思いましたw

当時、神戸空港島に新しく、
専門式場がオープンしていたので、そこでバイトしながら、
PSPの『モンスターハンター2ndG』をやる生活が、
2016年8月中にはありました。

あれだけハンター生活が、
絶望を紛らわせてくれるとは思いませんでした。

このブログが、当時の『モンスターハンター』のような
役割になればいいなという想いもあります。

話は逸れましたが。

で無事1ヶ月のハンター生活も終え、
賃貸の違約金も払い。

実家の奈良に帰ってきました。

大学に行かずにホテルの専門学校に行って、
婚礼式場の会社に就職するっていう目標を掲げて、
うまいこと、就職することができました。

しかし、
クビになることは高3の時に想定してませんでしたw
そりゃそうですよねー。

それから、
第二新卒向けの就職紹介の会社の斡旋を受けましたが、
アドバイザーの分かったような態度や、言動を
自分の部屋で思い出して、

自分自身にも、あのアドバイザーにも
はらわたが煮え繰り返る思いで、

自分の折りたたみベットを1回踏み潰した思い出があります。
スッキリしました。前を向けるようなりました。

その後2ヶ月面接を受けましたが、
4ヶ月でクビになったようなやつが、受かりそうになかったので、
諦めて、とりあえずバイトしようということになりました。

そして、
関西の某ホテルの宴会場でバイトすることにしました。

当時は、
現役で大学合格した3年生と同い年ぐらいだったので、
フリーターやら大学生やら主に20代が働いていました。

僕はホテルの専門学校でしたし、
専門学校時代に、専門式場で婚礼サービスをしまくっていたので、
知識もありましたし、
サービスの動きも視野の広さも、自信がありました。

あぁ大学生くらいには負けないんだなって、
クビにはなったけど・・
言いはしませんでしたが、心の中では思っていました。

その自分で、
自分の存在価値がなくなってる時に、

ある日その時に、
僕が、宴会の準備をしている時に、

その当時、
宴会場のアシスタントマネージャーにふと、
こう言われました。

【君、いい動きしてるね!!】

言われた時は、
いやいや、ここ大学生と比べないでくださいよ。当たり前ですよ。

と心の中で、生意気にも思っていましたが、
その場は、
ありがとうございます!ってお礼をしました。

たった11文字の言葉でしたが、
ふと、

あぁ・・
ゲストのことを考えて動くことは
間違いじゃなかったんだ。

この有名ホテルの、
アシスタントマネージャーになってるような人は
認めてくれるんだと思って、

じわじわ、
家で思い出して泣きました。

なんか、ここが、
人生のターニングポイントだった気がします。

自分は暖かい言葉をかけてもらって、
クビにされて、
自信を失っている時から、

そこから、人生のやる気一気に出ました。

よし、やってやろうじゃないの!

たった11文字の言葉で、僕は大体自信が取り戻しました。

なので、
僕も、
あのアシスタントマネージャーのようなことをしようと、

そのホテルで働いているときは、
対スタッフには暖かい言葉をかけることを
徹底しました。

キッチンさんにやりすぎだよ!
って言われても笑われてもやりました。

だって、11文字の言葉に、救われたんですから。

基準としては、お客様に対応するレベルで丁寧にしました。

社会人〜接客楽しかったけれど、異世界を知る〜

そして、そのホテルで、非正規雇用から正社員になりました。

ただ、ホテルの接客は楽しかったですが、
別に他の業種で働こうが、
『雇われている』っていうことに対して不安がありました、

なので、色々行動しました。

まずはFX。
種銭が100万ほどで、FXで130万ほど含み益が出ていたけれど、
急激に変動して、20万ほどの含み益になったところで、

ちょうどインフルエンザになって、終電を逃し、
ネットカフェで休んでいて、
これは・・とてもじゃないけど、
今は考えられないということで、

全部ポジションを利益確定させて25万くらい利益が出ました。

あとは、株。
合計20万くらいかな、儲けたのって。

あとは、パチンコ。
初めは、友達をやめさせるために始めましたが、
自分でやって、合計10万くらいのプラスでした。

でも、多くの時間を失いました。

人生が一番停滞した時期でしたね。勉強も本も読んでなかったし。
思考力下がったし。
早く、勉強の楽しさを当時の僕には伝えたいですね。

あとは、2014年ごろには、両親の離婚がありました。
ずーと、原因は父の浪費ぐせが原因だと思っていましたが、

東京で、人間心理などを勉強すると、
母がボトルネック(原因)だったんじゃないかという、

父はあんまり悪くなかったんじゃないかと、
今、結論になっています。

そんなある日2016年3月ごろ、
あるツイッターのアカウントからフォローされました。

【私は、月収500万の同い年の師匠に会って、人生が変わりました。】

その女性は、
20代前半の同い年の男性にあって、
稼げるようになったと、発信していました。

ほんまかいな?

その人はYouTubeチャンネルをやっていたので、
毎日聞いてみることにしました。

この女性、たどたどしいけど。
YouTubeでいいこと言ってるけどなー、

けど、真似してる感があるな〜

どうせだったら、この人の月収500万の20代の師匠の人に会いたいな。
と思いました。

この女性のYouTubeチャンネルのチャンネル登録を
辿って、この人が月収500万の人やなって思って、探し出して、

その方のメルマガ登録しました。
面白い発信をしていたので、
とりあえず、この人と会ってみたいなと思うようになりました。
本当にいるのかこんな人が??

え〜!!??
こんな世界があるのに、俺は正当にホテルマンやってる場合か???

で、僕は考えました。

僕の住んでいた場所は、
もし、南海トラフ沖地震が起きたら、

浸水するとされているところでした。

よしっ!
明日南海トラフ沖地震が起きて、
僕は従業員食堂にいて、
浸水して、死ぬと仮定して、

ホテルを辞めて、東京に行こう!!

単休の時に、関東の物件探しに行きました。
退職を会社に伝えました。

そして、
あの起業家に会うまでは、
バイトをできないようにしようと思いました。

懇親会の案内の時に、
バイトが入っている可能性があったりしたら、
行けなくて、チャンスを棒に降ると思ったので。

よし、ホテルのバイトをできないように、
髪の毛を染めよう、なんなら赤にしちゃおう。
あった時に覚えてもらえるし・・

人生で初めて髪を染めて、しかも赤髪にして・・
あの人に覚えてもらおうと思いました。

東京編〜もっと早く来ればよかったな〜

2016年6月。
退職日の次の日に引越しの荷物を送り、
関西から東京に出てきました。

それから2ヶ月ちょっと経ったある日、

メールボックスに1通のメールがきていました。

内容は
「突然ですが、8月◯日に東京で勉強会をやります。
10名限定です。

内容は、当日お伝えします。
集まり次第、締め切らせてもらいます。

初心者でも大歓迎。
13:00スタートで20:00までがっつりやります。

懇親会もやります。では、よろしくお願いします。」

やっと、きたあああああああぁあああ!

速攻で数万円払い、

で当日、YouTubeで声だけしか聞いたことなかった、
20代の年収2億以上の方に実際にお会いしました。

東京には、こんな一般的には次元が違う人っているんだw
と思いました。これは行動してよかったぞと。

その勉強会で、
その方の前で、日本酒を広めたいとプレゼンしました。

そこがよかったのか、
なんなのかわかりませんが、

その起業家のクローズドなテニス会に呼んでいただいたりとかして、

年収2億円以上の20代年下に10回以上会ったり、
外注さんを20人以上雇ってメディア運営をするようになったり、
YouTubeで自分で喋る動画を100本以上あげたり、
人の行動原理を、ある程度言語で説明できるように

なりました。

勉強期間を経て・・

そして、2018年始め、
やっとYouTube事業の芽が出始めたのと、

たまたま行った、
懇親会のメンバーの行動量をを見て感化されたので、

情報発信を始め出しました。
このブログの始まりです。

===========飲むさん物語===========

いかがでしたでしょうか?

僕のブログでは、
『人生後悔しないために』
『自分の感情に素直になる』

という考えを基にして、
読んでもらうと、非常に読みやすいかと思います。

僕は、YouTubeとメールマガジンで、
情報発信をしているのですが、

ネットであった読者さんに
LINE@で返信いただいて、
一緒に日本酒を飲みに行ったこともあります。

僕は昔は、
勉強をしていませんでした。

けど、ちょっとしたネット上でのきっかけと、
知識と音声学習で
人生はもっと面白くなるんだよということを

あなたに伝えたい、

『人間心理』とか言っても、
わからないし
見えないから難しく感じてしまうんです。

人は自分が知らないことは
勝手に難しいと判断してしまうんですよね。

今は、ちょっと難しく思うかもしれませんが、
人間心理を一緒にちょっとだけ勉強してみましょう。

そのためにメルマガを発行してるのですが、
メルマガでは、
より具体的な話をしています。

ネット上では話せない、クローズドな話も
限定のYouTube動画も配信しています。

当然『無料』なので、
興味のある方は、ご登録ください。

飲むさんのメルマガ登録
(こちらをクリックで登録フォームが出ます)

以上です。飲むさんこと野村でした。

追伸

YouTubeでテキストでは伝わりにくいので、
動画でもアップしております。

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僕は2016年6月に6年働いていたホテルを辞めました。
ホテルの仕事を見限ったという訳ではないんです。
サービス業は超楽しかったんですよ、気がついたら27歳。
僕はどうも1年前と同じ自分な気がしました。
いいのかなこれで・・

そのあと、たまたまYouTubeで、
自分で稼げる世界を知って、
自分もやってみたいって思って、
6年半働いていたホテルの社員をやめることにしました。

大阪から東京に引っ越し、
そのあとは、個人事業主として、やっていくために
年収2億円の20代半ばの方からビジネスの勉強をして、

まだまだですが、自分で稼げるようになりました。

大阪から東京に引っ越してきて、
起業家やフリーランスの方と会い

自分がいかに会社で働いていたわけでなく、
会社に時間と労働力を提供していただけだったか、
痛感します。

労働者と経営者はやっていることが全く違います。

20代で気付けてよかった。

僕のむさんのプロフィール
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